残置物処理班がバリ島で最優秀賞を受賞したのだ!
連絡があり、シナリオを担当したラジオドラマが賞を頂いたことを知った。
今日、報道された内容はだいたい以下の通り。
NHKなどに24日入った連絡によると、アジア太平洋放送連合(ABU)加盟局の優れた作品に贈られるABU賞13部門のうち3部門で、NHKと毎日放送の作品が最優秀賞に選ばれた。NHKが受賞したのはテレビスポーツ番組部門の「競泳 北京オリンピック代表決定戦」とラジオドラマ番組部門のFMシアター「残置物処理班」。毎日放送はテレビエンターテインメント番組部門の「金閣寺音舞台」。授賞式は同日、インドネシア・バリ島で開催中のABU総会の一環として行われたという。
このコンクールは1964年から行われているそうで、50くらいの加盟放送機関から作品がだされるらしい。
いやあ、なんにせよ、めでたい。
素直に嬉しいよおん。ディレクターの真銅氏、出演者・スタッフの皆さんに感謝。
そして、この作品は、プロジェクトMの昨年の上演作品「ファイル/残置物処理班」のラジオドラマ化であり、舞台と同時進行で企画から長い時間あたためて製作されたものだ。舞台より放送があとで、ちょうど地方公演の前だった。ラジオを聞いてから見に来たという人も結構いらして、思わぬラジオドラマと舞台の交わりとなった作品だ。
去年の今頃はまったく書けず、辛抱強く書き上がりを待ってくれた舞台の出演者にも、折々、観客からの視線で助言をくれたK女史にも御礼を言いたい。
しかし、考えてみると、わたし、この生涯のなかで、最優秀賞というのは初めてでございます。嬉しいよおん。
劇作家協会新人戯曲賞、テアトロ戯曲賞、かながわ戯曲賞、仙台杜の街戯曲賞・・・、すべて佳作か最終選考どまり。
思い起こせば、小、中学校の時の野球。これも市内100以上のチームが参加した大会で、ベスト4で無念の涙。中学も決勝で敗退。そういえば水泳も、400メートル個人メドレーでの2着が最高順位でありました。
ああ、高校の時の弁論大会もそうであります。思いだしました。「意地っ張りの勧め」という題目で、ちょっと斜に構えたのがいけなかったのか、優勝候補筆頭などといわれつつ、審査員特別賞。ああ、もっと思いだした。小学校の時の徒競走。今は行われていないところも多いとききますが、わたしのときは、一等賞は鉛筆かなにかと、金色のヒモがついているしおりをもらえたんであります。しかし、結果は六年間ずっと2着か3着。金のしおりが羨ましかった・・・。
そう、わたしが一等賞になったのは、ちょっと・・・、なんだろうなあ。
中学の時の水泳のクラスマッチで、水泳部以外は、あまり泳ぐ人がいないバタフライで一着になったぐらいしか思いだせない。そのときの記録は校内記録として何年か残っていたと聞いたけど。うーん、思いだせない、やっぱり「最優秀賞」はまもなく45歳にして、生涯初めてということで、それが嬉しい「よおん」の理由であります。
田舎の母がニュースで見たと連絡して来ました。
「表彰式はバリに行くんか」
「行かないと思う」
「賞金はいくら?」
「・・・ないんじゃないかなあ」
ま、正直、どういう賞なのか、よくわかっていないのですが、とにかく、最優秀賞なのだ。
えへん!
今日、報道された内容はだいたい以下の通り。
NHKなどに24日入った連絡によると、アジア太平洋放送連合(ABU)加盟局の優れた作品に贈られるABU賞13部門のうち3部門で、NHKと毎日放送の作品が最優秀賞に選ばれた。NHKが受賞したのはテレビスポーツ番組部門の「競泳 北京オリンピック代表決定戦」とラジオドラマ番組部門のFMシアター「残置物処理班」。毎日放送はテレビエンターテインメント番組部門の「金閣寺音舞台」。授賞式は同日、インドネシア・バリ島で開催中のABU総会の一環として行われたという。
このコンクールは1964年から行われているそうで、50くらいの加盟放送機関から作品がだされるらしい。
いやあ、なんにせよ、めでたい。
素直に嬉しいよおん。ディレクターの真銅氏、出演者・スタッフの皆さんに感謝。
そして、この作品は、プロジェクトMの昨年の上演作品「ファイル/残置物処理班」のラジオドラマ化であり、舞台と同時進行で企画から長い時間あたためて製作されたものだ。舞台より放送があとで、ちょうど地方公演の前だった。ラジオを聞いてから見に来たという人も結構いらして、思わぬラジオドラマと舞台の交わりとなった作品だ。
去年の今頃はまったく書けず、辛抱強く書き上がりを待ってくれた舞台の出演者にも、折々、観客からの視線で助言をくれたK女史にも御礼を言いたい。
しかし、考えてみると、わたし、この生涯のなかで、最優秀賞というのは初めてでございます。嬉しいよおん。
劇作家協会新人戯曲賞、テアトロ戯曲賞、かながわ戯曲賞、仙台杜の街戯曲賞・・・、すべて佳作か最終選考どまり。
思い起こせば、小、中学校の時の野球。これも市内100以上のチームが参加した大会で、ベスト4で無念の涙。中学も決勝で敗退。そういえば水泳も、400メートル個人メドレーでの2着が最高順位でありました。
ああ、高校の時の弁論大会もそうであります。思いだしました。「意地っ張りの勧め」という題目で、ちょっと斜に構えたのがいけなかったのか、優勝候補筆頭などといわれつつ、審査員特別賞。ああ、もっと思いだした。小学校の時の徒競走。今は行われていないところも多いとききますが、わたしのときは、一等賞は鉛筆かなにかと、金色のヒモがついているしおりをもらえたんであります。しかし、結果は六年間ずっと2着か3着。金のしおりが羨ましかった・・・。
そう、わたしが一等賞になったのは、ちょっと・・・、なんだろうなあ。
中学の時の水泳のクラスマッチで、水泳部以外は、あまり泳ぐ人がいないバタフライで一着になったぐらいしか思いだせない。そのときの記録は校内記録として何年か残っていたと聞いたけど。うーん、思いだせない、やっぱり「最優秀賞」はまもなく45歳にして、生涯初めてということで、それが嬉しい「よおん」の理由であります。
田舎の母がニュースで見たと連絡して来ました。
「表彰式はバリに行くんか」
「行かないと思う」
「賞金はいくら?」
「・・・ないんじゃないかなあ」
ま、正直、どういう賞なのか、よくわかっていないのですが、とにかく、最優秀賞なのだ。
えへん!