平成大震災 芝居録2
劇場に入る。
「俺は、舞台に行くから、楽屋見てくれ」
伊藤南咲に言って、小屋のスタッフと舞台に。
大道具は無事のようだ。
照明も見た目は大丈夫。
「照明さん来たら、全部下ろして、チェックしてもらえますか」
「ああ、わかってる」
もう一人のスタッフが来る。
「とりあえず、僕の方で点検します」
楽屋に行く。
「どうだ」
「衣装が一つ二つ落ちただけですね」
テアトルBONBONは、完成して二年経っていない新しい劇場。キャパシティ100人ほどの小劇場だが、設備はかなりいい。耐震も規制が強化されてからの建物なので、そういうこともあったのだろう。
劇場の事務所に行き、情報を集める。
現在、都内は列車は全線止まっていることがわかる。
東北など震源地に近いところはひどいやられようであることは、確かだが、まだ、この時点で詳細はわからなかった。
「東北なのか? なんで、こっちがあんなに揺れたんだろう」
「今日のソアレ公演どうしますか」
「一応、やる方向で準備します」
スタッフ、俳優に連絡を取る。
電話は通じない。メールも届いているのかどうか。
お客が来るかどうかはともかく、キャスト、スタッフがいなければ公演は出来ない。
特に、今回、千葉の佐倉市や神奈川の三ツ境など家が遠い俳優が多い。
わたしだって、たまたま中野に来ていなかったら、相当苦労するはずだ。
(後で、小山と横澤が実証)
「全員、手段を講じて、劇場へ集合」と流す。
集合時間である16時。まだ半数ぐらいしかそろわない。
連絡が取れていない人間もいる。
西船橋で足止めを食らった中農、それから横浜までもまだ出られない深尾は危なそうだ。
皆には、やる方向、とだけ伝える。
劇場へも問合せの電話が入り始める。
「一応やる方向だが、17時頃の時点で決断する」と対応を指示。
隣の劇場の舞台監督が、劇場と一緒に話さないかと言ってくる。ポケットの舞台監督も一緒。
うちは、私がプロデューサーで責任者なので、わたしが行こうという。
同じポケットスクエアで公演中の、二つの団体は、公演中止の方向で考えていることがわかった。
たしかに、お客さんに伝えるのも、時間的にリミットだ。
ポケットスクエアの事務所。
支配人の笠原さんとは、まだ連絡が取れない状態だそうだ。
笠原さんも、気が気ではなかろう。
中野駅は、老朽化しているため、現在封鎖中との情報も入ってくる。
劇場の基本方針は、公演自体を団体が責任もって行うなら劇場側でストップはしない、というもの。
貸し小屋としては、妥当な対応であろうと思う。
他の二つの集団は、劇場側にジャッジしてほしい感じがありあり。
筋が違うような気もしたが、若い集団でもあり、また劇場も責任者がいない状態。そこで提案する。
「今日については、劇場の保守点検のため、ポケットスクエア全治で中止ということで、仕方ないんじゃないかな。正直、そういう理由付けの方が、劇団としても助かる」
劇場側も、それでいいならということで、方針は決定。
本日の公演は中止となった。
違和感はあった。
基本的に劇場は無事、装置も無事。
やれるのにやらない、中止にしたいという話。
決して非難するのでもなく、「責任をとれない」という発想は、あまりわたしが演劇をしている地点からは見えてこない言葉。何に対して責任を取り、そして責任を取れないのだろう。
この時点で、自粛、という言葉さえ思い当たらなかったが、もうこの翌日からは、この言葉と「不謹慎」という言葉が私たちに降り掛かることになった。それは、また後で。
おそらく、この日、上演すれば、数は分からぬがお客さんは来たであろう。
(実際、流山児事務所はこの日公演を行い、観客は5名であったと後日聞いた)
わたしにとっては、やはり、まずは物理的な問題であった。俳優が来なければ舞台は出来ない。
代役も考えたが、それも現時点で四人いない状況では、やはり無理だった。
初めての経験である。
横浜のフリンジフェスが、台風で野外のテントが飛び、中止はあったが。プロジェクトMの公演ではなかった。
なんにせよ、わたしは仕方がない、という気持ちにはなれなかった。もちろんこの時点では、様々な情報がまだ未確認であったこともあるが、違和感があった。
出演者にお客さんへの告知を指示。
HP、Twitter、ブログに告知する。
他の二つの劇団含めたポケットスクエア全体が、今日の公演を中止する旨、各劇団のチャンネルで流すことを申し合わせている。
照明の小関さん、音響の鶴岡さんは歩いて。舞台監督も歩いて。
一功さんはバイクで。バスを乗り継いだり、新宿から走ってきた上條もいた。
小山と横澤は、生田から、今、環状7号を徒歩で移動中だそうだ。やはり開演時間には間に合わないだろう。
中農と深尾は、どうにも動けず劇場入りを断念。
明日の劇場入り手段を考えるよう、指示する。
劇場にいる人間で受付時間は、残り、来るかもしれないお客さんに対応することを決める。
少し落ち着く。というか、ほかにもうやれることがない。
何人かに連絡する。電話はまだ通じない。
親はメールがない。連絡つかず。劇作家協会は本が崩れたり相当な状況のようだが、とりあえず事務局長もK女史も無事とのこと。アゴラで公演中のチャリT企画も、本日は中止するとのこと。
情報が徐々に入ってくる。津波の被害が相当ひどいらしい。
「今日、泊まっていいですかね」
「ええ、もちろんです」
少なくても、私は帰れそうにないし、帰ったら明日来られるかわからない。劇場に泊まることにする。
平沼寧に電話。「キャーを見にいってくれ」
キャーはうちの猫。平沼は子育てお休み中の女優。事務所に近い。
「え。そんななの。地震ひどいの? 向ケ丘遊園にいたからかな、気がつかなかった」
しばらくして、平沼からメール。
「キャーは無事。事務所は相当やられてたけど、バラシの後の荷物を運び込んだ後の状態くらい」
ホッとする。二通目のメール。
「でも、テレビと電子レンジは落ちていて、電子レンジは戻した、本は床にたくさん落ちている」
やっぱり、ひどいじゃん。
しかし、まあ、あそこよくつぶれなかった。吉葉ストア2階1号室。
差し入れのビールを根本さんが出してくる。
やはり若い俳優たちは、いくぶん顔色が悪い。和田なども、明らかに、動揺している。
根本さん、小林さん、一功さんは、「えらいことになった」と言いつつやはり落ち着きがあり、救われる。
この劇場、普段はビールなどもってのほかだが、今は、よい。
結局、うまく連絡が取れたこと、お客さんも劇場へ確認の電話してきたことで、来場したお客さんはいなかった。
開演時間が15分ほど過ぎた所で、制作にもう少し残るようにお願いし「樽屋」に移動する。
皆、来るかと思ったが、家に帰れるメンバーはほぼ帰ったらしい。
照明の小関さん、根本さん、一功さん、南咲、上條、リアル、和田、残ったのはそんなところだったろうか。
樽屋は、ビンが倒れたくらいでほとんど被害はなかったようだ。
「樽屋」は、マスターが亡くなったばかり。急だった。中野で芝居をやると、チケットを買っていつも見に来てくれた。ママと、また問わず語りにそんな話しもぽつりぽつりと。
しかし、この日、あとどんな話しを飲みながらしたのか、ほとんど覚えていない。
Twitterで情報を集めていたことは確かだ。
やはり役に立った。
まず、都内で帰宅難民が大量に発生。公共施設や劇場で、受け入れが始まっていた。政府も無理に帰宅しないように通達を出した。(これも後で聞いたが、小田急線、京王線はこの日のうちに動いたらしい。ガラガラだったという)
K女史はタクシーが捕まらず、座・高円寺に。チャリYの小杉美香は、やはりアゴラに泊りらしい。
店に公衆電話がある。公衆電話は通じるようだ。実家に電話。無事であった。
皆も、それぞれ電話をかけている。
小山と、横澤から、まもなく中野に到着と連絡が来る。ブロードウエイで食事をしてくる、という。
「何を考えてんだ、さっさと来い」とメールするが、届いたかどうかもわからない。
なんにせよ、二人は、7時間ほどかけての到着だ。劇場に残ってくれていた、モスクワカヌ、柳沼大地も合流。そして、やがて小山と横澤も。
看板まで店にいて、劇場に向かう。
途中のコンビニで、酒と食糧を飼う。
見事に弁当は一つもない。おにぎりが7、8個。
それらと、カップ春雨を、皆の夜食と朝食用に買った。
劇場の事務所にも差し入れする。一人が残ってくれているのだ。
テレビで情報を得る。
「原子力緊急事態宣言」が出され、「1号機の半径3km以内の住民に避難命令、半径3kmから10km圏内の住民に対し屋内待機の指示」が出されたのを、はっきりと知ったのは、この時だったか。
正直、最悪の事態、だと思った。
過去に、原発の芝居を書いており、おそらく普通の人より知識はある。
この事態で、初めて「死」ということを考え、それから「公演をどうするか」と思う。
「電車は明日も危なそうですね」
「うん」
「どうしますか」
「やる方向で、状態を見るしかない」
「そうですね」
楽屋でまた少し飲む。
皆は、劇場で寝たようだ。小屋のスタッフからは「吊りもの(照明器具)が危ないから、劇場では寝ないでください」とあったが、照明の小関さんは、俺が点検したんだ、大丈夫と言い切った。
私は、客用の座布団を敷き布団に、客席カバーを掛け布団に楽屋で寝た。
朝方、寒いなと思っていると、もう皆おきてきていたのであろう、たぶん伊藤南咲が、もう1枚客席カバーをかけてくれた、と思う。
二日目の朝になっていた。
「俺は、舞台に行くから、楽屋見てくれ」
伊藤南咲に言って、小屋のスタッフと舞台に。
大道具は無事のようだ。
照明も見た目は大丈夫。
「照明さん来たら、全部下ろして、チェックしてもらえますか」
「ああ、わかってる」
もう一人のスタッフが来る。
「とりあえず、僕の方で点検します」
楽屋に行く。
「どうだ」
「衣装が一つ二つ落ちただけですね」
テアトルBONBONは、完成して二年経っていない新しい劇場。キャパシティ100人ほどの小劇場だが、設備はかなりいい。耐震も規制が強化されてからの建物なので、そういうこともあったのだろう。
劇場の事務所に行き、情報を集める。
現在、都内は列車は全線止まっていることがわかる。
東北など震源地に近いところはひどいやられようであることは、確かだが、まだ、この時点で詳細はわからなかった。
「東北なのか? なんで、こっちがあんなに揺れたんだろう」
「今日のソアレ公演どうしますか」
「一応、やる方向で準備します」
スタッフ、俳優に連絡を取る。
電話は通じない。メールも届いているのかどうか。
お客が来るかどうかはともかく、キャスト、スタッフがいなければ公演は出来ない。
特に、今回、千葉の佐倉市や神奈川の三ツ境など家が遠い俳優が多い。
わたしだって、たまたま中野に来ていなかったら、相当苦労するはずだ。
(後で、小山と横澤が実証)
「全員、手段を講じて、劇場へ集合」と流す。
集合時間である16時。まだ半数ぐらいしかそろわない。
連絡が取れていない人間もいる。
西船橋で足止めを食らった中農、それから横浜までもまだ出られない深尾は危なそうだ。
皆には、やる方向、とだけ伝える。
劇場へも問合せの電話が入り始める。
「一応やる方向だが、17時頃の時点で決断する」と対応を指示。
隣の劇場の舞台監督が、劇場と一緒に話さないかと言ってくる。ポケットの舞台監督も一緒。
うちは、私がプロデューサーで責任者なので、わたしが行こうという。
同じポケットスクエアで公演中の、二つの団体は、公演中止の方向で考えていることがわかった。
たしかに、お客さんに伝えるのも、時間的にリミットだ。
ポケットスクエアの事務所。
支配人の笠原さんとは、まだ連絡が取れない状態だそうだ。
笠原さんも、気が気ではなかろう。
中野駅は、老朽化しているため、現在封鎖中との情報も入ってくる。
劇場の基本方針は、公演自体を団体が責任もって行うなら劇場側でストップはしない、というもの。
貸し小屋としては、妥当な対応であろうと思う。
他の二つの集団は、劇場側にジャッジしてほしい感じがありあり。
筋が違うような気もしたが、若い集団でもあり、また劇場も責任者がいない状態。そこで提案する。
「今日については、劇場の保守点検のため、ポケットスクエア全治で中止ということで、仕方ないんじゃないかな。正直、そういう理由付けの方が、劇団としても助かる」
劇場側も、それでいいならということで、方針は決定。
本日の公演は中止となった。
違和感はあった。
基本的に劇場は無事、装置も無事。
やれるのにやらない、中止にしたいという話。
決して非難するのでもなく、「責任をとれない」という発想は、あまりわたしが演劇をしている地点からは見えてこない言葉。何に対して責任を取り、そして責任を取れないのだろう。
この時点で、自粛、という言葉さえ思い当たらなかったが、もうこの翌日からは、この言葉と「不謹慎」という言葉が私たちに降り掛かることになった。それは、また後で。
おそらく、この日、上演すれば、数は分からぬがお客さんは来たであろう。
(実際、流山児事務所はこの日公演を行い、観客は5名であったと後日聞いた)
わたしにとっては、やはり、まずは物理的な問題であった。俳優が来なければ舞台は出来ない。
代役も考えたが、それも現時点で四人いない状況では、やはり無理だった。
初めての経験である。
横浜のフリンジフェスが、台風で野外のテントが飛び、中止はあったが。プロジェクトMの公演ではなかった。
なんにせよ、わたしは仕方がない、という気持ちにはなれなかった。もちろんこの時点では、様々な情報がまだ未確認であったこともあるが、違和感があった。
出演者にお客さんへの告知を指示。
HP、Twitter、ブログに告知する。
他の二つの劇団含めたポケットスクエア全体が、今日の公演を中止する旨、各劇団のチャンネルで流すことを申し合わせている。
照明の小関さん、音響の鶴岡さんは歩いて。舞台監督も歩いて。
一功さんはバイクで。バスを乗り継いだり、新宿から走ってきた上條もいた。
小山と横澤は、生田から、今、環状7号を徒歩で移動中だそうだ。やはり開演時間には間に合わないだろう。
中農と深尾は、どうにも動けず劇場入りを断念。
明日の劇場入り手段を考えるよう、指示する。
劇場にいる人間で受付時間は、残り、来るかもしれないお客さんに対応することを決める。
少し落ち着く。というか、ほかにもうやれることがない。
何人かに連絡する。電話はまだ通じない。
親はメールがない。連絡つかず。劇作家協会は本が崩れたり相当な状況のようだが、とりあえず事務局長もK女史も無事とのこと。アゴラで公演中のチャリT企画も、本日は中止するとのこと。
情報が徐々に入ってくる。津波の被害が相当ひどいらしい。
「今日、泊まっていいですかね」
「ええ、もちろんです」
少なくても、私は帰れそうにないし、帰ったら明日来られるかわからない。劇場に泊まることにする。
平沼寧に電話。「キャーを見にいってくれ」
キャーはうちの猫。平沼は子育てお休み中の女優。事務所に近い。
「え。そんななの。地震ひどいの? 向ケ丘遊園にいたからかな、気がつかなかった」
しばらくして、平沼からメール。
「キャーは無事。事務所は相当やられてたけど、バラシの後の荷物を運び込んだ後の状態くらい」
ホッとする。二通目のメール。
「でも、テレビと電子レンジは落ちていて、電子レンジは戻した、本は床にたくさん落ちている」
やっぱり、ひどいじゃん。
しかし、まあ、あそこよくつぶれなかった。吉葉ストア2階1号室。
差し入れのビールを根本さんが出してくる。
やはり若い俳優たちは、いくぶん顔色が悪い。和田なども、明らかに、動揺している。
根本さん、小林さん、一功さんは、「えらいことになった」と言いつつやはり落ち着きがあり、救われる。
この劇場、普段はビールなどもってのほかだが、今は、よい。
結局、うまく連絡が取れたこと、お客さんも劇場へ確認の電話してきたことで、来場したお客さんはいなかった。
開演時間が15分ほど過ぎた所で、制作にもう少し残るようにお願いし「樽屋」に移動する。
皆、来るかと思ったが、家に帰れるメンバーはほぼ帰ったらしい。
照明の小関さん、根本さん、一功さん、南咲、上條、リアル、和田、残ったのはそんなところだったろうか。
樽屋は、ビンが倒れたくらいでほとんど被害はなかったようだ。
「樽屋」は、マスターが亡くなったばかり。急だった。中野で芝居をやると、チケットを買っていつも見に来てくれた。ママと、また問わず語りにそんな話しもぽつりぽつりと。
しかし、この日、あとどんな話しを飲みながらしたのか、ほとんど覚えていない。
Twitterで情報を集めていたことは確かだ。
やはり役に立った。
まず、都内で帰宅難民が大量に発生。公共施設や劇場で、受け入れが始まっていた。政府も無理に帰宅しないように通達を出した。(これも後で聞いたが、小田急線、京王線はこの日のうちに動いたらしい。ガラガラだったという)
K女史はタクシーが捕まらず、座・高円寺に。チャリYの小杉美香は、やはりアゴラに泊りらしい。
店に公衆電話がある。公衆電話は通じるようだ。実家に電話。無事であった。
皆も、それぞれ電話をかけている。
小山と、横澤から、まもなく中野に到着と連絡が来る。ブロードウエイで食事をしてくる、という。
「何を考えてんだ、さっさと来い」とメールするが、届いたかどうかもわからない。
なんにせよ、二人は、7時間ほどかけての到着だ。劇場に残ってくれていた、モスクワカヌ、柳沼大地も合流。そして、やがて小山と横澤も。
看板まで店にいて、劇場に向かう。
途中のコンビニで、酒と食糧を飼う。
見事に弁当は一つもない。おにぎりが7、8個。
それらと、カップ春雨を、皆の夜食と朝食用に買った。
劇場の事務所にも差し入れする。一人が残ってくれているのだ。
テレビで情報を得る。
「原子力緊急事態宣言」が出され、「1号機の半径3km以内の住民に避難命令、半径3kmから10km圏内の住民に対し屋内待機の指示」が出されたのを、はっきりと知ったのは、この時だったか。
正直、最悪の事態、だと思った。
過去に、原発の芝居を書いており、おそらく普通の人より知識はある。
この事態で、初めて「死」ということを考え、それから「公演をどうするか」と思う。
「電車は明日も危なそうですね」
「うん」
「どうしますか」
「やる方向で、状態を見るしかない」
「そうですね」
楽屋でまた少し飲む。
皆は、劇場で寝たようだ。小屋のスタッフからは「吊りもの(照明器具)が危ないから、劇場では寝ないでください」とあったが、照明の小関さんは、俺が点検したんだ、大丈夫と言い切った。
私は、客用の座布団を敷き布団に、客席カバーを掛け布団に楽屋で寝た。
朝方、寒いなと思っていると、もう皆おきてきていたのであろう、たぶん伊藤南咲が、もう1枚客席カバーをかけてくれた、と思う。
二日目の朝になっていた。