『夕空はれて』を終えて 雑感
「夕空はれて」を終えた。
改めて観客の皆様、スタッフ、出演者、そして多くの関係者、関心を寄せてくださった方に感謝したい。
ありがとうございました。
さて、なんのまとまりもなく、思ったことを書き連ねて行こうと思う。
公演は疲れたよ。
肉体的に久しぶりに俳優と演出を兼ね、だいぶ劇場入りしてからは助けてもらったとはいえ、舞台監督でもあったから。緊縮財政公演の哀しさよ。
腰が痛くなり、足はあがらず、楽日は舞台に立てるのかと思うほど。
なんとかやり終えたかという実感。
二ヶ月ぐらい前から、トレーニングを始めたが、やはり、一度駄目になったぽんこつは、なかなかいう事をきかなかった。
俳優って大変だな。
大変だから、バイトなんかしていると、ちゃんとできないんだろうな。
バイトなんかしていて、働いていて、やるべきことはやっている俳優ってやっぱりすごい。
そういう人がいるのだ。ごくまれにだが。
小林達雄を心から尊敬する。
が、しかし、そういったこともそうなのだが、公演後一週間経っても、身体の奥底にまだはっきりと残る厄介なこの「凝り」は、ここ数ヶ月にわたって別役実戯曲と向き合ってきた痕跡であるのだと思う。
長い稽古だったことは何回か書いた。書いてないかな? Twitterか?
二人役者がいなくなった。一人は首にし、一人は逃げた。
そのことはいうまい。
あることだからである。しかし、今回ほど、そのことの「必然」のようなものを感じた事はない。
私自身、今日から全日で稽古をするという本番一週間前、どうにも身体が動かなくなり、稽古を休んだ。
原因はわからぬ。
持病であるかもしれないし、違ったかもしれない。あるいは風邪だった可能性もある。
とにかく、立ち上がろうとすると、何かが強くブレーキをかけた。
「この芝居をこのままやってはいけないのではないか」
そういうことを思った。
しかし、実際、動けないのだ。
最後までできるかぎりをがんばればいい、そういう芝居もある。
それは自己満足の話ではなく、観客さえも「ああ、よくがんばったな」と思える芝居。
それは、案外、感動的な舞台だったりもする。
もちろん、満足しない観客もいるにはいるが、そういうときに「満足しない観客」ばかりを、演劇は相手にしていないのは、よくも悪くも現実。
アイドルとか甲子園とかそういう話かもしれぬ。
無論、そういうところと、私たちがやった公演、小林達雄以外は、ぽんこつ俳優の私と、あとは若手という公演が、どれだけ違うところに立っていたかはわからぬ。うん、和田広記も若手だな、この作品をやるにあたっては。いい意味でも悪い意味でも。(彼自身が書いている稽古場ブログを読むとよろしい。http://promkeikoba.blog50.fc2.com/blog-entry-841.html/)
わからぬが、違うところをめざし、そのことは、少しだけであるかもしれないけど、現実に作用したとは思う。
だが、別役作品の抱えている何かが、わたしのなかの「凝り」に潜んだ事は間違いない。
わかりにくい文体になっている。
まるで別役作品のよう?
そんなに大したもんじゃない、そう。
ただし、別役作品は、難解さを抱えている。
多くの人がそう思うはずだ。事実だろう。
芝居に携わる人や、あるいは演劇の見巧者、くだけていえばファンのなかにも、そうした人は大勢いるだろう。
今回の二人いなくなった原因も、直接的な因はともかく、そうしたところにあるのだろうと私は思っている。
「あらゆる世界に対して誠実であるためには沈黙するのみである、という前提を前にして、如何に職業的芸術家は文体を持続させ得るか? という点から私の計算ははじまる」(盲が象を見る 別役実)
最初に書いておくけれど、これは孫引きだ。これを引用している文章をまず読んでから、わたしはこの別役さんの文章を改めて読んだ。
この主張は劇作家やシナリオを書く者にとって、まさにジレンマを産み出す。
はっきりいうとこういうものは、多くの場合、求められていないからである。
この主張は「なにを、いかに書くか」ではなく「なにを、いかに書かないか」につながるというのは太田省吾さんが書いておられたことだ。
作家にとって「なにを、いかに」がきちんと書ければ、そこそこに仕事はあるものだ。
そしてそれが、つまりなにを、いかに」かが「なぜ」なのかは、多くの場合、都合のいい説明であり、後付けで、それが巧くいった場合、上手に「なにを、いかに」を補完するものにすぎない。
ハリウッドの映画も様変わりして来たが、それらを思い浮かべるとわかりやすいかもしれない。
従って、俳優に求められている事柄も、多くの場合、それに準じることは、間違いない。
別役作品は違う。ととりあえず言い切る。
それは「なぜ」からはじまる世界である。
そこでは、「なぜ=なにを」「なぜ=いかに」でなければいけないというのも、またまた引用だが、太田省吾さんが指摘している事だ。
だから別役作品には、繰り替えし同じ状況が登場する。
同じ道具立てが、あるいは同じ立場の人物が登場するのであろう。
電信柱、ベンチ、なぜかふるぼけている・・・
居候、旅芸人、旅人、病人、欠勤者、スパイ・・・
ミレーという絵描きがいる。
別役さんが絵を描く事は知られているし、絵について多くの文章も書いている。
実にまた孫引きですが。
「ミレーの書くところの農夫は・・・決して私を感動させない。農夫という者はあらかじめ、風景によって了解された存在だからである」(『獏』創作雑感)
つまり、ミレーの例えば「落穂ひろい」は、「なにを、いかに」ということであれば、成功しているかもしれない、作品としてよいものであるかもしれない。しかし、「関係」に置いては誤りである。そう別役さんはいう。
「なぜなら、ここでは『なに(農夫)』は『なぜ=なに』であるべき作用をしていないからである」
農夫だから農場にいても、そこからは、関係性が生まれない、従って「なぜ」という問いは発生しない。
ものすごく、言い切ってしまえば、そういう事であると思われる。
だが、ピカソの「旅芸人」はそうでないという。
旅芸人は、風景からはじき出され、風景の中で「無心」である事を決して許されない存在であるから。
ここで、別役作品の道具立て、に話が戻る。
夕空はれて、の主人公、といっていいかどうかわからないが、男1と表記される登場人物は、新式の台所用品を扱う旅回りのセールスマンであった。どこにいくというあれはないが、たまたま、からっぽの檻とそれを見物するための椅子が並べられている街を通りかかる。
その街は、実に不可思議である。
一般常識が通じない、というのか、行動の理由が男1にはわからぬというのか、しかし、彼らには、なにか確実な行動倫理があり、そうそれはある意味で「誠実」ささえ感じるほどだ。
ちなみに、この行動倫理やそれに伴う誠実さの原因や理屈は、最後まで解明されない。
映画なら、衝撃の結末や、驚きの事実、が鼓舞され、ドラマのクライマックスとなるところであるが、このドラマの場合、問題や描かれているものは、そうしたところと違う地平にあるからである。
旅歩きのセールスマンは、この街の「誠実」から数歩離れている。この「数歩」というのが重要で、あまり離れすぎていると心理的なリアリティが続かない。簡単にいえば、わかりそうでわからない。
だから、男は「なぜ」と問いかけ、その問いかけの中でしか、そこで行動できない。そのなかで「なにを いかに」が生まれる。
男は、ある意味「わかろう」と決心するのだ。この「誠実さ」を。
しかし、その「決心」を強くすればするほど、その「誠実さん」を理解しようとする試みは、不可能である事が証明されて行く。
男は、なんとかその数歩の距離を埋めようとする。
しかし、埋まらない。なぜなら、誠実な者は最初から誠実であり、誠実でない者が誠実になるのは、ほぼ不可能だからである。これは、誠実、という言葉を他の言葉に置き換えてもいいし、人は、どうしても他者とは違う、ということを考えてもらってもいいと思う。
「決心」によって、男と「誠実」の距離はますます離れて行く。だが、男は、なんとか「証明したい」、
そこで生まれてくるのが「嘘」である。
やればできるよ、わからないことはない、俺だって他の人とかわらないさ、
そういった心情の中から、丁寧に細部を検討し、「誠実」さを手許に引き寄せようとする。
それが「嘘」として、別役作品の中で作用する。
別役作品の主人公が、丁寧な言葉遣いなのは、そのためであるというのは、またまた引用であるが。太田省吾さんである。
「夕空はれて」も、男は企まずして「嘘」を重ねることになるが、その嘘故に、崩壊する。
つかこうへい、ケラリーノ・サンドロビッチは、この別役作品の文体を、前者はたぐいまれな「運動神経」と在日であるというバックボーン、そして後者は、「笑い」が観客に作用することの重要性と、音楽をまた一つの生業としているという、していた? という見る者との距離感の在り方で、別役の文体を見事に引き継いで、自分自身で昇華し成功した、ほとんど例外的な劇作家であろうと思う。
そして、1961年に書いた処女作から、50年間、この作家のこうしたスタンスはぶれず、書き続け、しかも職業的な作家で今もあり続ける。
希有。
希有である。
別役実。
そうつまり問題が起きる。別役作品を演じ、あるいは演出する場合。
俳優として、演出家として未熟な場合は無論、論外である。
しかし、そうした場合でなくとも、
俳優は困る。
「どうして、そういう風に言わなくては駄目なのか」
そう書かれているから、としか言いようがないし、俳優が心底納得するには、もしかしたら馬鹿な俳優では駄目なのかもしれない。
セリフが、余計なものを身にまとうと、俳優が「説明」したり「なにかを見せよう」とすると、とたんにこの別役世界はわからなくなり、消え去ってしまう。そこに「在る」ことが重要なのだ。
美術家も困る。
よく登場する、ベンチや電柱は、着飾っては台無しにする。ほぼ、古ぼけていなければいけない。これは、俳優が「説明」したり、まとったりする事と似ている。
演出家も困る。
自分で多少わかるにしてもだ、多くの俳優にこれを納得できるように説明したりするのは至難の業だ。
だから、演出家の言う事を良くききつつ、確かな技術を持った俳優か,前述のように、頭のいい俳優が必要なのかもしれない。
別役作品は、述べて来た通りで、誤解を恐れずにいえば、そこに、よくいわれる「人物の気持ち」などはない。
「セリフの出所」といったものはある。そういう意味でいえば、わけもわからない不条理なセリフが飛び交っている訳ではない。その戯曲は、きわめて、人工的な、方法的な関係意識の工作によって、ていねいであり、こまやかであり、その関係意識のありどころにおいての戯曲なのである。
これもほぼ太田省吾さんがいっている事ではあるな。
すると、俳優はどこによりかかっていけばいいか。
別役戯曲は、演劇ではなく文学ではないか。
その事に対する答えは「この演劇から生まれた文学は、やはり俳優の肉体を正しく通り抜けた時こそ、世界を俯瞰する」ということにしかないと、今のところは思う。
これは引用じゃないよ。
別役実は相変わらずそこにいる。
それを、そのまま、この時代に、演出し、公演するということは、わりと面白い事なのではないか、今、私はそう思っている。
私自身がどこに行くかはわからない。
ただ、決心としてこの別役の世界に、わたしは、もう少し繰り返し身を置き、その繰り返しの作業のなかで、演劇を、自分を考えて行こうという思いの、確かさは、そう確かにある。
もう少し書きたい事があったが、それはまたの機会に。
改めて観客の皆様、スタッフ、出演者、そして多くの関係者、関心を寄せてくださった方に感謝したい。
ありがとうございました。
さて、なんのまとまりもなく、思ったことを書き連ねて行こうと思う。
公演は疲れたよ。
肉体的に久しぶりに俳優と演出を兼ね、だいぶ劇場入りしてからは助けてもらったとはいえ、舞台監督でもあったから。緊縮財政公演の哀しさよ。
腰が痛くなり、足はあがらず、楽日は舞台に立てるのかと思うほど。
なんとかやり終えたかという実感。
二ヶ月ぐらい前から、トレーニングを始めたが、やはり、一度駄目になったぽんこつは、なかなかいう事をきかなかった。
俳優って大変だな。
大変だから、バイトなんかしていると、ちゃんとできないんだろうな。
バイトなんかしていて、働いていて、やるべきことはやっている俳優ってやっぱりすごい。
そういう人がいるのだ。ごくまれにだが。
小林達雄を心から尊敬する。
が、しかし、そういったこともそうなのだが、公演後一週間経っても、身体の奥底にまだはっきりと残る厄介なこの「凝り」は、ここ数ヶ月にわたって別役実戯曲と向き合ってきた痕跡であるのだと思う。
長い稽古だったことは何回か書いた。書いてないかな? Twitterか?
二人役者がいなくなった。一人は首にし、一人は逃げた。
そのことはいうまい。
あることだからである。しかし、今回ほど、そのことの「必然」のようなものを感じた事はない。
私自身、今日から全日で稽古をするという本番一週間前、どうにも身体が動かなくなり、稽古を休んだ。
原因はわからぬ。
持病であるかもしれないし、違ったかもしれない。あるいは風邪だった可能性もある。
とにかく、立ち上がろうとすると、何かが強くブレーキをかけた。
「この芝居をこのままやってはいけないのではないか」
そういうことを思った。
しかし、実際、動けないのだ。
最後までできるかぎりをがんばればいい、そういう芝居もある。
それは自己満足の話ではなく、観客さえも「ああ、よくがんばったな」と思える芝居。
それは、案外、感動的な舞台だったりもする。
もちろん、満足しない観客もいるにはいるが、そういうときに「満足しない観客」ばかりを、演劇は相手にしていないのは、よくも悪くも現実。
アイドルとか甲子園とかそういう話かもしれぬ。
無論、そういうところと、私たちがやった公演、小林達雄以外は、ぽんこつ俳優の私と、あとは若手という公演が、どれだけ違うところに立っていたかはわからぬ。うん、和田広記も若手だな、この作品をやるにあたっては。いい意味でも悪い意味でも。(彼自身が書いている稽古場ブログを読むとよろしい。http://promkeikoba.blog50.fc2.com/blog-entry-841.html/)
わからぬが、違うところをめざし、そのことは、少しだけであるかもしれないけど、現実に作用したとは思う。
だが、別役作品の抱えている何かが、わたしのなかの「凝り」に潜んだ事は間違いない。
わかりにくい文体になっている。
まるで別役作品のよう?
そんなに大したもんじゃない、そう。
ただし、別役作品は、難解さを抱えている。
多くの人がそう思うはずだ。事実だろう。
芝居に携わる人や、あるいは演劇の見巧者、くだけていえばファンのなかにも、そうした人は大勢いるだろう。
今回の二人いなくなった原因も、直接的な因はともかく、そうしたところにあるのだろうと私は思っている。
「あらゆる世界に対して誠実であるためには沈黙するのみである、という前提を前にして、如何に職業的芸術家は文体を持続させ得るか? という点から私の計算ははじまる」(盲が象を見る 別役実)
最初に書いておくけれど、これは孫引きだ。これを引用している文章をまず読んでから、わたしはこの別役さんの文章を改めて読んだ。
この主張は劇作家やシナリオを書く者にとって、まさにジレンマを産み出す。
はっきりいうとこういうものは、多くの場合、求められていないからである。
この主張は「なにを、いかに書くか」ではなく「なにを、いかに書かないか」につながるというのは太田省吾さんが書いておられたことだ。
作家にとって「なにを、いかに」がきちんと書ければ、そこそこに仕事はあるものだ。
そしてそれが、つまりなにを、いかに」かが「なぜ」なのかは、多くの場合、都合のいい説明であり、後付けで、それが巧くいった場合、上手に「なにを、いかに」を補完するものにすぎない。
ハリウッドの映画も様変わりして来たが、それらを思い浮かべるとわかりやすいかもしれない。
従って、俳優に求められている事柄も、多くの場合、それに準じることは、間違いない。
別役作品は違う。ととりあえず言い切る。
それは「なぜ」からはじまる世界である。
そこでは、「なぜ=なにを」「なぜ=いかに」でなければいけないというのも、またまた引用だが、太田省吾さんが指摘している事だ。
だから別役作品には、繰り替えし同じ状況が登場する。
同じ道具立てが、あるいは同じ立場の人物が登場するのであろう。
電信柱、ベンチ、なぜかふるぼけている・・・
居候、旅芸人、旅人、病人、欠勤者、スパイ・・・
ミレーという絵描きがいる。
別役さんが絵を描く事は知られているし、絵について多くの文章も書いている。
実にまた孫引きですが。
「ミレーの書くところの農夫は・・・決して私を感動させない。農夫という者はあらかじめ、風景によって了解された存在だからである」(『獏』創作雑感)
つまり、ミレーの例えば「落穂ひろい」は、「なにを、いかに」ということであれば、成功しているかもしれない、作品としてよいものであるかもしれない。しかし、「関係」に置いては誤りである。そう別役さんはいう。
「なぜなら、ここでは『なに(農夫)』は『なぜ=なに』であるべき作用をしていないからである」
農夫だから農場にいても、そこからは、関係性が生まれない、従って「なぜ」という問いは発生しない。
ものすごく、言い切ってしまえば、そういう事であると思われる。
だが、ピカソの「旅芸人」はそうでないという。
旅芸人は、風景からはじき出され、風景の中で「無心」である事を決して許されない存在であるから。
ここで、別役作品の道具立て、に話が戻る。
夕空はれて、の主人公、といっていいかどうかわからないが、男1と表記される登場人物は、新式の台所用品を扱う旅回りのセールスマンであった。どこにいくというあれはないが、たまたま、からっぽの檻とそれを見物するための椅子が並べられている街を通りかかる。
その街は、実に不可思議である。
一般常識が通じない、というのか、行動の理由が男1にはわからぬというのか、しかし、彼らには、なにか確実な行動倫理があり、そうそれはある意味で「誠実」ささえ感じるほどだ。
ちなみに、この行動倫理やそれに伴う誠実さの原因や理屈は、最後まで解明されない。
映画なら、衝撃の結末や、驚きの事実、が鼓舞され、ドラマのクライマックスとなるところであるが、このドラマの場合、問題や描かれているものは、そうしたところと違う地平にあるからである。
旅歩きのセールスマンは、この街の「誠実」から数歩離れている。この「数歩」というのが重要で、あまり離れすぎていると心理的なリアリティが続かない。簡単にいえば、わかりそうでわからない。
だから、男は「なぜ」と問いかけ、その問いかけの中でしか、そこで行動できない。そのなかで「なにを いかに」が生まれる。
男は、ある意味「わかろう」と決心するのだ。この「誠実さ」を。
しかし、その「決心」を強くすればするほど、その「誠実さん」を理解しようとする試みは、不可能である事が証明されて行く。
男は、なんとかその数歩の距離を埋めようとする。
しかし、埋まらない。なぜなら、誠実な者は最初から誠実であり、誠実でない者が誠実になるのは、ほぼ不可能だからである。これは、誠実、という言葉を他の言葉に置き換えてもいいし、人は、どうしても他者とは違う、ということを考えてもらってもいいと思う。
「決心」によって、男と「誠実」の距離はますます離れて行く。だが、男は、なんとか「証明したい」、
そこで生まれてくるのが「嘘」である。
やればできるよ、わからないことはない、俺だって他の人とかわらないさ、
そういった心情の中から、丁寧に細部を検討し、「誠実」さを手許に引き寄せようとする。
それが「嘘」として、別役作品の中で作用する。
別役作品の主人公が、丁寧な言葉遣いなのは、そのためであるというのは、またまた引用であるが。太田省吾さんである。
「夕空はれて」も、男は企まずして「嘘」を重ねることになるが、その嘘故に、崩壊する。
つかこうへい、ケラリーノ・サンドロビッチは、この別役作品の文体を、前者はたぐいまれな「運動神経」と在日であるというバックボーン、そして後者は、「笑い」が観客に作用することの重要性と、音楽をまた一つの生業としているという、していた? という見る者との距離感の在り方で、別役の文体を見事に引き継いで、自分自身で昇華し成功した、ほとんど例外的な劇作家であろうと思う。
そして、1961年に書いた処女作から、50年間、この作家のこうしたスタンスはぶれず、書き続け、しかも職業的な作家で今もあり続ける。
希有。
希有である。
別役実。
そうつまり問題が起きる。別役作品を演じ、あるいは演出する場合。
俳優として、演出家として未熟な場合は無論、論外である。
しかし、そうした場合でなくとも、
俳優は困る。
「どうして、そういう風に言わなくては駄目なのか」
そう書かれているから、としか言いようがないし、俳優が心底納得するには、もしかしたら馬鹿な俳優では駄目なのかもしれない。
セリフが、余計なものを身にまとうと、俳優が「説明」したり「なにかを見せよう」とすると、とたんにこの別役世界はわからなくなり、消え去ってしまう。そこに「在る」ことが重要なのだ。
美術家も困る。
よく登場する、ベンチや電柱は、着飾っては台無しにする。ほぼ、古ぼけていなければいけない。これは、俳優が「説明」したり、まとったりする事と似ている。
演出家も困る。
自分で多少わかるにしてもだ、多くの俳優にこれを納得できるように説明したりするのは至難の業だ。
だから、演出家の言う事を良くききつつ、確かな技術を持った俳優か,前述のように、頭のいい俳優が必要なのかもしれない。
別役作品は、述べて来た通りで、誤解を恐れずにいえば、そこに、よくいわれる「人物の気持ち」などはない。
「セリフの出所」といったものはある。そういう意味でいえば、わけもわからない不条理なセリフが飛び交っている訳ではない。その戯曲は、きわめて、人工的な、方法的な関係意識の工作によって、ていねいであり、こまやかであり、その関係意識のありどころにおいての戯曲なのである。
これもほぼ太田省吾さんがいっている事ではあるな。
すると、俳優はどこによりかかっていけばいいか。
別役戯曲は、演劇ではなく文学ではないか。
その事に対する答えは「この演劇から生まれた文学は、やはり俳優の肉体を正しく通り抜けた時こそ、世界を俯瞰する」ということにしかないと、今のところは思う。
これは引用じゃないよ。
別役実は相変わらずそこにいる。
それを、そのまま、この時代に、演出し、公演するということは、わりと面白い事なのではないか、今、私はそう思っている。
私自身がどこに行くかはわからない。
ただ、決心としてこの別役の世界に、わたしは、もう少し繰り返し身を置き、その繰り返しの作業のなかで、演劇を、自分を考えて行こうという思いの、確かさは、そう確かにある。
もう少し書きたい事があったが、それはまたの機会に。