地域の芝居を二つ
川崎市の多摩区登戸辺りに住んで、もう20年以上になる。
一番長く住んでいる場所になった。
劇団の事務所もここ。
ブログに写真掲載すると、イメージダウンになるからやめなさい、とK女史に怒られるほどの場所だが、愛着はある。
ただ、川崎市では公演をしたことが無い。新宿まで20分の距離感覚と、川崎市に手頃な劇場が長年無かったことがある。それならば、横浜へと足を伸ばし、この10年近く、相鉄本多劇場さんや、横浜の皆さんの助けを借りながら、東京や地方とあわせて公演を打って来た。
川崎での公演の道を模索しなければいけないなあ。これは、劇団の総会の結論でもあったので、少し動いている。
地域劇団としてのありようは、劇場法(仮)のことも含め、裂けて通れない問題だからだ。
(しかし、菅首相でそうなるのかねえ。オリザさんも)
今日は、昼間は、川崎市麻生区の小田急線新百合ケ丘駅、アルテリオ小劇場へ。
アル☆カンパニーの「家の内臓」
面白かった。好みで言うと、前回の蓬莱君の「罪」なのだが、平田さんはこちらの方が生き生きとしていたかな。
アフタートークでの作/演出家、前田司郎さんの言によると「あて書き」とのこと。
さもありなん。
地域がらももあるのか、土曜日で昼でもあり、小劇場ファンといった感じの客層ではなく、地域のリタイアしたご夫婦などがたくさん来られていた印象。客席はほぼ満員。助成を受けながら地域と密着してやらなければ、経済的には厳しい公演だろうが、成立しているのでうらやましい。
客席も爆笑ということではないが、かなり楽しんでおられたように見受けた。
川崎市アートセンターとのコラボレーション企画もこれで何回目だろうか?
平田さんたちも地域との連携を、ごく自然体で探ってらっしゃるのかな。
終演後、井上加奈子さんに、アルテリオの制作の方を紹介していただき、少し話。
また、今度ゆっくりとお話しすることを約束し、次の劇場へ。
舞台監督の金安と帰りが一緒。いまや、小劇場では一番?といっていいくらい売れっ子舞台監督になった、凌平だが、元々は10年くらいうちの劇団員だった。小野八着とともにいやがるだろうが、俺が育てたと言っておこう。
「どうなんだ、裏は使いやすい?」
「使いやすいですね。都内にあったら、すごく人気だと思いますよ」
武蔵小杉駅で、ふじたあさやさんと、待ち合わせ。
時間があったので、喫茶店で、資料を読む。
あさやさんとバスで、行く予定だったが、バスの運行本数が少なく、タクシーに乗る。
予定より早くつき、劇場前にいると、鈴木太郎さんとばったり。
「ああ、おふたりとも地元ですもんね」
そう。あさやさんは、川崎市のいろんな委員をやっておられるし、昭和音大の教授でもある。なんか川崎市の文化症とかももらっているはず。
わたしは、それはもう、なんにももらっていないが、来年一緒に川崎の市民劇をやるのだ。
その関係で、今日は、京浜共同劇団の真船豊作「鼬」を観る。
会場は、劇団のアトリエである、スペース京浜。ゆったり100人以上すわれる、小劇場としてはいいスペース。劇団が買い取り、ローンを払って使用している場所のようだ。
この劇団、地元に根を下ろし、なんと今年が50周年。公演は、今回が第80回だ。
わたしは、真船豊の台本は読んでいたが、芝居は初めて見た。
舞台は昭和9年。戦争へと突き進んで行く時代の入り口。東北地方。かつて名主だった「だるま屋」が今は落ちぶれてみる影も無い。借金が払えず、今日にも家屋敷を明け渡さねばならない・・・
暗い芝居である。
現代的な意味でのカタルシスも無い。
わたしは、中学時代に見た、山本安英さんの「夕鶴」や民藝の「炎の人」を思い出した。
おそらく30代の役者では手も足も出ない台本だ。
やろうともしないとも思うが・・・
ただ、作家が作家の作品世界が透けてこないことが印象的だった。
現代の芝居に見えてくるのは、作家の世界であることがほとんどだ。
そういう意味で、おそらくは、作品の成果はともかく、平田満さん、井上加奈子さんは苦戦苦闘したであろう、前田司郎世界へのチャレンジと好対照な感じがした。
こういう劇団があり、活動していることの貴重さを、自前のアトリエ、客入れ、開園前の案内、芝居、休憩中の熱いお茶の供用、閉演後のカンパ募集、その後の懇親会、そういうことを通して強く感じ、帰宅した。
さて、どうしたものか。
一番長く住んでいる場所になった。
劇団の事務所もここ。
ブログに写真掲載すると、イメージダウンになるからやめなさい、とK女史に怒られるほどの場所だが、愛着はある。
ただ、川崎市では公演をしたことが無い。新宿まで20分の距離感覚と、川崎市に手頃な劇場が長年無かったことがある。それならば、横浜へと足を伸ばし、この10年近く、相鉄本多劇場さんや、横浜の皆さんの助けを借りながら、東京や地方とあわせて公演を打って来た。
川崎での公演の道を模索しなければいけないなあ。これは、劇団の総会の結論でもあったので、少し動いている。
地域劇団としてのありようは、劇場法(仮)のことも含め、裂けて通れない問題だからだ。
(しかし、菅首相でそうなるのかねえ。オリザさんも)
今日は、昼間は、川崎市麻生区の小田急線新百合ケ丘駅、アルテリオ小劇場へ。
アル☆カンパニーの「家の内臓」
面白かった。好みで言うと、前回の蓬莱君の「罪」なのだが、平田さんはこちらの方が生き生きとしていたかな。
アフタートークでの作/演出家、前田司郎さんの言によると「あて書き」とのこと。
さもありなん。
地域がらももあるのか、土曜日で昼でもあり、小劇場ファンといった感じの客層ではなく、地域のリタイアしたご夫婦などがたくさん来られていた印象。客席はほぼ満員。助成を受けながら地域と密着してやらなければ、経済的には厳しい公演だろうが、成立しているのでうらやましい。
客席も爆笑ということではないが、かなり楽しんでおられたように見受けた。
川崎市アートセンターとのコラボレーション企画もこれで何回目だろうか?
平田さんたちも地域との連携を、ごく自然体で探ってらっしゃるのかな。
終演後、井上加奈子さんに、アルテリオの制作の方を紹介していただき、少し話。
また、今度ゆっくりとお話しすることを約束し、次の劇場へ。
舞台監督の金安と帰りが一緒。いまや、小劇場では一番?といっていいくらい売れっ子舞台監督になった、凌平だが、元々は10年くらいうちの劇団員だった。小野八着とともにいやがるだろうが、俺が育てたと言っておこう。
「どうなんだ、裏は使いやすい?」
「使いやすいですね。都内にあったら、すごく人気だと思いますよ」
武蔵小杉駅で、ふじたあさやさんと、待ち合わせ。
時間があったので、喫茶店で、資料を読む。
あさやさんとバスで、行く予定だったが、バスの運行本数が少なく、タクシーに乗る。
予定より早くつき、劇場前にいると、鈴木太郎さんとばったり。
「ああ、おふたりとも地元ですもんね」
そう。あさやさんは、川崎市のいろんな委員をやっておられるし、昭和音大の教授でもある。なんか川崎市の文化症とかももらっているはず。
わたしは、それはもう、なんにももらっていないが、来年一緒に川崎の市民劇をやるのだ。
その関係で、今日は、京浜共同劇団の真船豊作「鼬」を観る。
会場は、劇団のアトリエである、スペース京浜。ゆったり100人以上すわれる、小劇場としてはいいスペース。劇団が買い取り、ローンを払って使用している場所のようだ。
この劇団、地元に根を下ろし、なんと今年が50周年。公演は、今回が第80回だ。
わたしは、真船豊の台本は読んでいたが、芝居は初めて見た。
舞台は昭和9年。戦争へと突き進んで行く時代の入り口。東北地方。かつて名主だった「だるま屋」が今は落ちぶれてみる影も無い。借金が払えず、今日にも家屋敷を明け渡さねばならない・・・
暗い芝居である。
現代的な意味でのカタルシスも無い。
わたしは、中学時代に見た、山本安英さんの「夕鶴」や民藝の「炎の人」を思い出した。
おそらく30代の役者では手も足も出ない台本だ。
やろうともしないとも思うが・・・
ただ、作家が作家の作品世界が透けてこないことが印象的だった。
現代の芝居に見えてくるのは、作家の世界であることがほとんどだ。
そういう意味で、おそらくは、作品の成果はともかく、平田満さん、井上加奈子さんは苦戦苦闘したであろう、前田司郎世界へのチャレンジと好対照な感じがした。
こういう劇団があり、活動していることの貴重さを、自前のアトリエ、客入れ、開園前の案内、芝居、休憩中の熱いお茶の供用、閉演後のカンパ募集、その後の懇親会、そういうことを通して強く感じ、帰宅した。
さて、どうしたものか。