Twitterのいいところ
Twitterをはじめて、三週間くらいか。
まだまだ周りには「何か、嫌い」とか「見方がわからない」とか、呟かなければいけないのに「ええ、わかんないですけど」という人が多い。
そして、Twitterの法則、どおり、こちらはやたらすすめて引かれる毎日だ。
まあ、もちろんそれはよし。わたしだってわかってるわけじゃなし。
しかし、まあ、ここまでやってみてわかるのは、もうほんの少しの時間で、現在のメールくらい浸透するであろうこと、そして、情報の発信としては最強のツールになるんだろうなということ。
だから、今、わかったほうがいい。
発信していく表現者としては。
K女史に怒られたことも今はありがたく思う。
ただ、こんなものとつきあわなくたって生きていける人はたくさんいるはずだ。
でも、逆に凡人には得難いかもしれぬと思う。
わかるには自分でやるというのが一番だろうな。
そのなかで、つきあい方を決めていけばいいのだろう。
で、わたしが思ういいところ。
やっている方には自明だろうが、ツイッターにはフォローというシステムあり。
だれかのつぶやきをフォローする。
そうすると、自分のページに、その人が呟いたことが表示される。
これがいのだなあ。
フォローするもそれをやめるのも簡単な仕組みになっている。
自分の好みの、興味ある方をフォローするのはもちろん。
友人や仕事関係も。
ただ作家にとっていいのは、自分が、たとえばとても普段は興味を抱かぬかもしれぬ、しかし、社会的にはとか、文学的にはとか、そういうつぶやきをフォローすること。
例えば、ソフトバンクの孫さんとかホリエモンとか、たぶんわたしは彼らの著作は買おうとは思わない。
これは新聞を購読しないで、サイトで自分が興味あるニュースだけ読むのにも似ている。
世界を広げる。狭める。
思いもかけぬことが書いてある。
それに賛同するもしないもともかくだけど、面白い。
わたしの分野の演劇だってそうだ。
多様な需要法が飛び込んでくる。
まず飛び込んでくることがいい。
そしてそれの取捨選択を迫られることが、また、良いのだと思うし、そうすべきなのだろう。
まだまだ周りには「何か、嫌い」とか「見方がわからない」とか、呟かなければいけないのに「ええ、わかんないですけど」という人が多い。
そして、Twitterの法則、どおり、こちらはやたらすすめて引かれる毎日だ。
まあ、もちろんそれはよし。わたしだってわかってるわけじゃなし。
しかし、まあ、ここまでやってみてわかるのは、もうほんの少しの時間で、現在のメールくらい浸透するであろうこと、そして、情報の発信としては最強のツールになるんだろうなということ。
だから、今、わかったほうがいい。
発信していく表現者としては。
K女史に怒られたことも今はありがたく思う。
ただ、こんなものとつきあわなくたって生きていける人はたくさんいるはずだ。
でも、逆に凡人には得難いかもしれぬと思う。
わかるには自分でやるというのが一番だろうな。
そのなかで、つきあい方を決めていけばいいのだろう。
で、わたしが思ういいところ。
やっている方には自明だろうが、ツイッターにはフォローというシステムあり。
だれかのつぶやきをフォローする。
そうすると、自分のページに、その人が呟いたことが表示される。
これがいのだなあ。
フォローするもそれをやめるのも簡単な仕組みになっている。
自分の好みの、興味ある方をフォローするのはもちろん。
友人や仕事関係も。
ただ作家にとっていいのは、自分が、たとえばとても普段は興味を抱かぬかもしれぬ、しかし、社会的にはとか、文学的にはとか、そういうつぶやきをフォローすること。
例えば、ソフトバンクの孫さんとかホリエモンとか、たぶんわたしは彼らの著作は買おうとは思わない。
これは新聞を購読しないで、サイトで自分が興味あるニュースだけ読むのにも似ている。
世界を広げる。狭める。
思いもかけぬことが書いてある。
それに賛同するもしないもともかくだけど、面白い。
わたしの分野の演劇だってそうだ。
多様な需要法が飛び込んでくる。
まず飛び込んでくることがいい。
そしてそれの取捨選択を迫られることが、また、良いのだと思うし、そうすべきなのだろう。