非戦を選ぶ演劇人の会 終了 感謝
ピースリーディングが終了した。「Re:カクカクシカジカの話」
お客さんの入りが当初心配されたが、初日もほぼ満員、二日目は、入りきれなかったお客樣方が、ロビーで30人ほどモニターで観劇。二日間で800人を超える来場者を迎えることができた。
ご来場の皆様、そして自分はいけないが、とブログやTwitterで宣伝してくださった方、ボランティアスタッフ、関心を寄せてくれた全ても皆さん、ほんとうにありがとうございました。
手弁当で駆けつけてくれた多くの出演者の皆様、ハードなスケジュールをこなしてくれたスタッフ、それから実行委員の皆々、ご苦労様でした。
会のHPで正式に報告があるかと思うが,9条Tシャツは、160枚余りが売れ、カンパも40万円近くになった。
本当に感謝。
すまけいさん、梅沢昌代さんらが、出演した三部の井上ひさしさんの追悼リーディングは、最初からこちらも楽しみで仕方がなかったし、実際すばらしいものだった。出演者も通路からじっと見ていたのだけれど、多くの皆と同じように、私も泣けて仕方がなかった。流れていた井上さんの盛岡での講演は、あのなかでおそらく実際聞いたのは私だけだと思う。一回目の講演が、井上さんの寝坊で流れ、スタッフとして現地に入っていた私は本当に往生した、仕切り直しの二回目の講演だった。
それに比べ、私が演出補をつとめ、出演もした、第一部は本当に不安のなかで進んでいた。
だが、初日も、特に二日目、よい舞台になったと思う。
カーテンコールの拍手で、わたしたちは、お客さんがどう思ったか、推し量る。
暖かい拍手だった。
それもあまり経験することがないくらい。
楽屋にもどった出演者もみなそう感じていたようで、口々にいっていた。
稽古は二日。劇場入りしてからもざっと場当たりをしただけで、一度も本番まで通せなかった。
改稿を重ねた台本を、初日終了後、当初の予定より時間が長かったこともあり、さらに10ページほどカットした。
役者は、応え、初日より、舞台にはテンポと濃密さがあふれた。
時間がない中で、役者から様々なアイデアが出て来た。楽屋でしつこく自主稽古を繰り返し、ベテランから、そして最初は遠慮していた若手からも、どんどん意見が出た。
台本が手許に届いてから本番まで一週間なかったはず。
皆、演劇をすることの怖さと楽しさを知っているのだなあ。
主役になった小山貴司もよくやった。一生もうできないかもしれない経験をした。
うちの劇団員なので、手前味噌なのだが、よくやった。
皆も支えてくれた。感謝。
お客さんには、そこまでわからなかったかもしれないが、原爆体験の証言者として出演した、鈴木瑞穂さんは、リーディングなのに、台本を見なかった。
それは、あの原爆体験が、瑞穂さんの実体験だからである。
出演者も舞台上で、お客様と一緒に、みな、その体験談を聞く形になった。
なによりも重い、得難いお話だった。
そして、あのときの劇場の空間は、なんといえばいいのか、これもあまり出現することのない空間になった。
作家の相馬、演出の楢原も奮戦した。
そして、アドバイスを送り続けた、渡辺えり、永井愛は、やはりすごかった。
芝居のプロフェッショナルと実際に過ごした体験は、若い彼らのほんとうに貴重な経験になったに違いない。
もちろん、わたしにも。
そして、私も今回は少しは役に立っただろう。
役者としては、初日は、小山を心配しすぎて、へろへろだった。
初日のお客様には申し訳ない・・・
二日目は若干取り戻したか。
そうだ、二日目には、「先生」青井陽治さんの、クライマックスでのでとちりもあった。
「で、出てこない!!」
反対側の袖に走ると青井さんは袖にスタンバイしているにもかかわらず、ものすごく熱心に台本を読み、練習していた。「あ、青井さん」
青井さんは、走って舞台へ登場した。
そんなこんなで今年のピースリーディングは終了。
高橋長英さんは喫煙所で「やっぱり、しつこくやらなきゃだめだよ」
力強くそういったなあ。
もう、こんなこと二度とできない。
もう無理だ。
いやだ。
いつもいつも皆実行委員は、この会の準備中には、そう思ったりする。
だが、昨日の打上では、「来年はやっぱり沖縄をやらなきゃダメだ」
そういう話になった。
また、会う日まで。
お客さんの入りが当初心配されたが、初日もほぼ満員、二日目は、入りきれなかったお客樣方が、ロビーで30人ほどモニターで観劇。二日間で800人を超える来場者を迎えることができた。
ご来場の皆様、そして自分はいけないが、とブログやTwitterで宣伝してくださった方、ボランティアスタッフ、関心を寄せてくれた全ても皆さん、ほんとうにありがとうございました。
手弁当で駆けつけてくれた多くの出演者の皆様、ハードなスケジュールをこなしてくれたスタッフ、それから実行委員の皆々、ご苦労様でした。
会のHPで正式に報告があるかと思うが,9条Tシャツは、160枚余りが売れ、カンパも40万円近くになった。
本当に感謝。
すまけいさん、梅沢昌代さんらが、出演した三部の井上ひさしさんの追悼リーディングは、最初からこちらも楽しみで仕方がなかったし、実際すばらしいものだった。出演者も通路からじっと見ていたのだけれど、多くの皆と同じように、私も泣けて仕方がなかった。流れていた井上さんの盛岡での講演は、あのなかでおそらく実際聞いたのは私だけだと思う。一回目の講演が、井上さんの寝坊で流れ、スタッフとして現地に入っていた私は本当に往生した、仕切り直しの二回目の講演だった。
それに比べ、私が演出補をつとめ、出演もした、第一部は本当に不安のなかで進んでいた。
だが、初日も、特に二日目、よい舞台になったと思う。
カーテンコールの拍手で、わたしたちは、お客さんがどう思ったか、推し量る。
暖かい拍手だった。
それもあまり経験することがないくらい。
楽屋にもどった出演者もみなそう感じていたようで、口々にいっていた。
稽古は二日。劇場入りしてからもざっと場当たりをしただけで、一度も本番まで通せなかった。
改稿を重ねた台本を、初日終了後、当初の予定より時間が長かったこともあり、さらに10ページほどカットした。
役者は、応え、初日より、舞台にはテンポと濃密さがあふれた。
時間がない中で、役者から様々なアイデアが出て来た。楽屋でしつこく自主稽古を繰り返し、ベテランから、そして最初は遠慮していた若手からも、どんどん意見が出た。
台本が手許に届いてから本番まで一週間なかったはず。
皆、演劇をすることの怖さと楽しさを知っているのだなあ。
主役になった小山貴司もよくやった。一生もうできないかもしれない経験をした。
うちの劇団員なので、手前味噌なのだが、よくやった。
皆も支えてくれた。感謝。
お客さんには、そこまでわからなかったかもしれないが、原爆体験の証言者として出演した、鈴木瑞穂さんは、リーディングなのに、台本を見なかった。
それは、あの原爆体験が、瑞穂さんの実体験だからである。
出演者も舞台上で、お客様と一緒に、みな、その体験談を聞く形になった。
なによりも重い、得難いお話だった。
そして、あのときの劇場の空間は、なんといえばいいのか、これもあまり出現することのない空間になった。
作家の相馬、演出の楢原も奮戦した。
そして、アドバイスを送り続けた、渡辺えり、永井愛は、やはりすごかった。
芝居のプロフェッショナルと実際に過ごした体験は、若い彼らのほんとうに貴重な経験になったに違いない。
もちろん、わたしにも。
そして、私も今回は少しは役に立っただろう。
役者としては、初日は、小山を心配しすぎて、へろへろだった。
初日のお客様には申し訳ない・・・
二日目は若干取り戻したか。
そうだ、二日目には、「先生」青井陽治さんの、クライマックスでのでとちりもあった。
「で、出てこない!!」
反対側の袖に走ると青井さんは袖にスタンバイしているにもかかわらず、ものすごく熱心に台本を読み、練習していた。「あ、青井さん」
青井さんは、走って舞台へ登場した。
そんなこんなで今年のピースリーディングは終了。
高橋長英さんは喫煙所で「やっぱり、しつこくやらなきゃだめだよ」
力強くそういったなあ。
もう、こんなこと二度とできない。
もう無理だ。
いやだ。
いつもいつも皆実行委員は、この会の準備中には、そう思ったりする。
だが、昨日の打上では、「来年はやっぱり沖縄をやらなきゃダメだ」
そういう話になった。
また、会う日まで。